一度だけ、彼と二人きりで海岸を歩いた夜のことを覚えている。
薄い三日月が真っ暗な海にひとつ浮かび、ゆらゆらと波に揺れていた。優しげな波音だけが鼓膜に響くのが、何故だか恐ろしかったような気がする。
わたしたちは少しの間何も語らなかった。けれど、何かを言わなければならないような気がして、実際彼はわたしと散歩するために睡眠時間を削ってくれているのだから、言葉を必死になって探した。
その気配を察した彼は小さく笑い、立ち止まって暗い海を見据えた。明りがなくてはっきりと見ることが出来ないが、彼の美しい瞳には細波が映り込んでいるだろう。彼の、あのヘイゼルグリーンにはこの暗闇はどのように見えているのだろうか。わたしはそれが知りたくなった。
「暗いな」
「まぁ、夜だし…明かりもないからな」
言い方を間違えたようだ。彼からの返答に、わたしは何と言うべきだったのか考えた。
その時、暗い海に光が差した。
目を凝らしても、光は一瞬で消えてしまって何だったのかわたしにはよくわからなかった。けれど彼は知っているようで、灯台か、と零した。わたしがそれを繰り返すと、彼は岬の方を指さし、説明してくれた。
「目印みたいなもんだ。海は暗いから、灯台の光を頼りに船が進むんだよ」
「今の一瞬の光でわかるのか」
「船に乗ってる奴にはわかるんだろ。俺は陸路専門だからよく知らねぇよ」
「…そうか」
再び沈黙。わたしはもう言葉を探すことはしなかった。
暗闇の海と細波と灯台の光。ここにあるものが、すべてだった。
「ありがとう、ディーン」
わたしは彼の返答を待たずに彼の肩に触れ、彼を寝床へ送り届けた。
きっと彼はわたしの勝手な行動に腹を立て、次に会った時に小言を言うのだろう。そんなことを考えながら、わたしは海を見据えた。
神の不在、秩序を失った天界。わたしがゆくべき道は、この暗い海のようだ。
けれど、この海を照らす灯台があるように、わたしのおどろの道を照らす光もまた、確かに存在する。
わたしが海を漂う船ならば、船の行く先を照らし、船の帰還地点を教える光、それこそが彼なのだ。
この時君はわたしの灯台だった。PR